病み上がり


暦の上では春がきているはずなのに、吐き出す息はまだ白く、肌に当たる風も冷たい。
夕刻も近くなり、子供達が手を振り別れの言葉を言い合いながら走っていく。
そんな様子を、伊達政宗は屋敷の庭から眺めていた。
満開の桜の木から花弁が散り、政宗の髪を着飾る。前髪についた花弁は、政宗の頬の色とよく似ていた。
「寒いな…」
そう呟く政宗は、薄い着物しか着ていない。
冷えた手を温めようと息を吹きかけると、一時的には温かくなったがすぐにひんやりとした手に戻ってしまった。
屋敷の中に入ればいいのに、政宗は入ろうとしない。


「殿」
呼ばれて政宗は振り返った。
優しい笑みを浮べながら縁側に立っていた男は主人が振り返るのを見届けた後、庭におりて政宗の元に近づいた。
「殿、お身体に障りまする。病み上がりですのに…ご無理はなさらぬようにと申し上げたでしょう」
「無理などしておらん」
こう言う政宗を見て、片倉小十郎は苦笑いした。
見上げてくる顔はまだ幼い。しかし眼には子供とは思えない不思議な力が宿っている。
幼いながらにもっている、炎のような力。
遅れてきた竜の闘志は、このころから存在していた。


小十郎はふぅ、と息を吐くと政宗の髪をそっと梳いた。
「しかし、この冷たい風は殿のお身体を良くするとは思いませんが?」
にこりと笑う小十郎を見て、政宗はバツが悪そうに口を尖らせた。こう言う所はまだ幼いようだ。
小十郎はまた、政宗の髪を手で梳いた。
「さぁ、お部屋に戻りましょう。すぐに食事の用意をさせまする。今日はこのくらいにして、早く暖かい処に」
「小十郎」
政宗は桜の木を見上げながら言った。
「どうしてわしは町の童たちと遊んではいけないのだ?」
その寂しげな声を聞いて、小十郎の顔から笑みが消えた。
「どうしてわしはここから出てはいけないのだ?のう、小十郎。どうしてじゃ?」
小十郎は言葉につまった。…何も言えずに、小さな主人の後姿を見つめることしかできなかった。
冷たい風が、桜の花を激しく散らした。


「殿」
やっとの思いで小十郎は声を出した。
しばらく俯いていた政宗は、振り返ると小十郎をじっと見て、ふわりと笑った。
「そんな顔、するな」
政宗は冷たくなった手で小十郎の右手を握った。
「少し、言うてみただけじゃ」
そう言う主人を小十郎は見下ろしている。
「小十郎の手は、暖かいの」
しばらく呆然と見つめていたが、小十郎は空いていた左手を政宗の手に重ねた。
「私は、一生殿のお傍におりまする」
そう言ってしゃがむと、政宗と視線を同じにした。
「殿を一人になんてさせませぬ。寂しいならばいつでもお傍に。寒ければいつでも手を差し出しまする。ですから」
小十郎は額をコツンと政宗の額に当てた。
「そんな哀しい顔、なさらないでください」
優しい顔が目の前で微笑む。重なっていた手が離れると、小十郎はそのまま政宗を抱きしめた。
「私が、おりますから」


耳元で優しい声を聞く。低く響く小十郎の声は、心地よく政宗の身体中に浸透していく。
「小十郎…」
政宗が己の腕を小十郎の首に回そうとした、その時だった。
「梵天ーっ!!」
聞き慣れた声が遠くから聞こえ、政宗は咄嗟に小十郎の体を突き飛ばした。
向こうから駆けてきたのは、今さっきまで昼寝をしていた伊達成実だった。息を切らしながら走ってきたのを見ると、随分と探したのだろう。
「梵天っ!勝手に何処をうろついておったのだ。起きたら共に松の木に登ると約束しておっただろう!」
「すまぬ。急に桜が見たくなったのだ」
「全く…どれだけ走り回ったと思っておる!」
と、成実はその場に座り込んでいる小十郎を見つけた。
「お主は何をしておるのだ?」
小十郎は苦笑いしながら立ち上がると、汚れた着物をパンパンと叩いた。
「殿と桜を眺めておりました。ねぇ、殿?」
にっこりと笑って同意を求められ、政宗は少し顔を赤くしながら「あぁ」と頷いた。
「ん?梵天、顔が赤いぞ。昨日池に落ちてからすぐ風呂に入らんから熱なんぞ出るのだぞ」
「もう熱は下がっておる!」
「ではどうして赤くなっておるのだ?」
にやにやと笑いながら成実は言う。更に顔を赤くする政宗を見て、成実は楽しそうに笑った。
「殿、成実殿、もうお戻りなされ。随分冷え込んできましたからね」
えーっ、と文句をいう成実の背中を押して屋敷へと歩かせる。
後ろを歩いてきていた政宗が、一つくしゃみをした。鼻を啜り手でゴシゴシと擦る。
小十郎は傍まで行くと、着ていた上着でそっと政宗の身体を包んだ。
「お身体に障ると申しましたでしょう。さぁ、早くお入りなさい」
手をひいて歩き出す。ギュッと上着を掴んで、政宗は手を引かれるまま歩き出した。


…小十郎の匂いがする。
暖かい、太陽のような匂いが。


このまま、こんな日が続けばいいのに。
戦乱の世がなくなり、皆平和に暮らせる世が、くればいいのに。
―片倉小十郎景綱という男を、失わない世がくればいいのに。


…いや―。

そんな世を、己で開いてみせる。

暖かいこの温もりを、自分の元から消さないように。
自分の為になら、己の命をも捨てかねないこの優しい男を消さないように。


ただ守られるだけではなく。
―守りたい。


縁側に上がろうと草履を脱いだとき、急に後ろからひょいと抱き上げられた。
そのまま抱き寄せられる。
「お、おい小十郎っ…」
「大丈夫、成実殿はいませんよ」
くすりと小十郎は笑う。
「別にそのようなことを言ったのではない」
「そうですか」
ずっと笑っている従者を見て、政宗にも自然と笑みがこぼれてくる。
「では殿、お部屋に行きましょうか」
「自分で歩くから降ろせ」
「いいえ、お連れいたします。ここで目を離せばまた何処かに行きそうですからね」
「別に何処にも行かん!」
信じられません、と無理矢理降りようとする政宗を押さえ込んで、小十郎はすたすたと歩き出す。


こんな日が続けばいいのに。
そう思っているのは一人だけではなかった。


永遠に、というわけにはいかないかも知れない。
けれど、今この瞬間を抱いて、一歩一歩進んでいきたい。


希望の未来へと向かって。



モドル

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